Hirakana’s blog

パワースポットのご利益を記録する旅行ブログです。

千代田区②神田明神 三宿稲荷神社と金刀比羅神社と水盤

みなさんこんにちは!

ひらかなです。

 

神田明神には神田明神のみならず、

他にも様々な神社があります。

 

たとえば

 

・末廣稲荷神社

・浦安稲荷神社

三宿金刀比羅神社

大伝馬町八雲神社

小舟町八雲神社

江戸神社

・水神社(魚河岸水神社)

 

などなどなどなど・・・

これでもすべて書き出せていないのですが

あげていくだけで息切れしてしまうほどです。

 

さすが江戸総鎮守、

江戸時代から町や地域ごとの神様が祀られております。

 

その中でも印象に残った

三宿稲荷神社と金刀比羅神社

について今日は書こうと思います。

 

三宿稲荷神社と金刀比羅神社

御神殿の裏側に同じ社殿に祀られています。

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三宿稲荷神社と金刀比羅神社

三宿稲荷神社:
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

を祀っています。


創建年は不詳で、

江戸時代より神田三河町二丁目の守護神として信仰されていました。

現在の社殿は1966年に再建され、

その際に金刀羅大神と同じ社殿となりました。

 

金刀比羅神社
大物主命(おおものぬしのかみ)

金山彦命(かなやまひこのみこと)

天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)

を祀っています。


1783年に現在の東日本橋二丁目両国町に創建されました。

隅田川の船人たちの守護神として信仰され

その後、町の発展と共に商家、

特に飲食業や遊芸を職とする人々の厚い信仰を集めたそうです。
 (出典:神田明神公式サイト「境内案内」のページより)

 

なぜこの三宿稲荷神社と

金刀比羅神社が印象に残ったかというと、

水盤

があったからです。

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水盤

この水盤は千代田区指定有形民俗文化財です。

側面に銘文が彫られており、

「江戸時代の1805年2月に伊勢屋治兵衛によって奉納された。」

とあり、さらに背面の銘文に

「1856年6月に神田、日本橋、京橋、下谷、本郷界隈に住む

45名の人々により再建された」

とあるそうです。

 

この45人の中には

川辺炭薪問屋仲間、炭薪仲買、人宿、六組飛脚問屋などの職を持つ町人たちがいるそうです。

 

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側面の銘文ははっきりとしています。

 東京の中心にあって

神田明神とともに関東大震災東京大空襲を乗り越えて

ここにあるんだと思うと奇跡のようなものを感じます。

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水盤の説明書き

水盤に関しては専用の説明書きもあり

それでやっと気づいたくらいの

全く主張しない貴重な文化財なのですが

そのくらい貴重なものが神田明神にはあふれているんだなあ

と感心してしまいました。

 

 

江戸総鎮守 神田明神

〒101-0021 東京都千代田区外神田2-16-2
tel:03-3254-0753 fax:03-3255-8875

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